KUMAちゃんのカレー弁当の日記

無水・無添加・グルテンフリー!身体がよろこぶカレー

⑦夫婦の夢だったカレー弁当屋を開業するまでの道のり~今の食生活との出会い、ローンの残っていたマンションを手放してから移住の決断まで、移住した矢先のstage4の悪性リンパ腫の発覚、夢を叶えた開業~

7回目はKUMAちゃんのカレー弁当開業までの道のりのお話しです。

何気なく作り始めたカレー

最初に試作を作り始めたのはマンションを売却して団地に住み始めた頃でした。

 

今の食生活を始めてから市販のルーは使わない為、カレーを作っていなかったので食べたくなり、スパイスから作ろうと思った事が今のカレー弁当屋の始まりです。

 

スパイスカレーの作り方をネットで調べて、スーパーでスパイスを購入して作りました。

最初は全然美味しくできなかったです。

香りは良いけど味気無いカレーだったり、スパイスの実験のような事をしてキッチンが煙で充満してしまったりと上手くできない事ばかりでした。

 

すると普段料理をしない夫がカレー作りに興味を持ち始めました。

何かを始めると突き詰めて、熱心に調べる夫はネットで色々なスパイスを購入したり、様々な作り方を研究してカレーがどんどんと進化していきました。

 

物作りが好きで、真面目で手を抜かない夫には1から作るカレー作りは向いていたようです。

 

時には様々な手法で作ったカレーを目隠しをして味比べをしたり、突き詰める夫と❝大丈夫でしょ❞というゆるい感覚の私と温度差があり喧嘩になる事もありました。

 

カレーを商売にしたいと強く思ったきっかけの1つは、2020年9月に高知県黒潮町に遊びに来た時でした。

 

海が近くて開けた雰囲気の素敵な黒潮町でお店ができたら楽しそうだと想像しました。更に家賃の相場を友達から聞き、この夢は実現できる可能性のあるものだと感じましたが、まだこの時点ではお店をやるぞ!!と決断はしませんでした。

 

とりあえずお店をやるかやらないかは別として、ここに住みたいと思い八王子から移住をしてきました。(移住については以前のブログで書いています)

 

気持ちが定まらないまま

移住してからもお店はやりたいけど、農業もやってみたい、季節の仕事を点々と自由に暮らすのも良いな…等考えながらもカレーは作り続けていて、店舗探しもしていました。

 

店舗探しは色々な方に協力して頂きました。良さそうだなと思う所があれば友達の両親が聞いて回ってくれる事もありました。

 

自分の足でも探しに行き、ここが良いと思ったらその隣の家に突撃訪問をして情報収集をしました。突撃訪問をしても一切嫌な顔をせず、色々教えてくれたり、もっと情報をもっていそうな人を紹介してくれたり、相談する人相談する人皆が協力してくれて感動と驚きでした。

 

しかし空き物件は色々あったのですが条件が合わずこの時は借りられる所が見つかりませんでした。

 

そしてその頃夫の悪性リンパ腫が発覚し、夢は叶える事ができないと諦めました。

高額医療費制度があるとはいえ、毎月最低でも6~7万円はかかる医療費なので私は働く事にしました。

 

少し脱線した話しになるのですが、夫は悪性リンパ腫が発覚する約2年前位に、毎月3万円の保険に10年程入っていたのですが、いつ病気になるかもわからないのにこんなに払っているのはもったいない!!高額医療費制度もあるしと思い解約してしまっていたんです。

 

発覚した時はやめなきゃ良かったなと思いました。保険は難しいと思いました。

最初から払わないで毎月その分貯めておくのも手なのか、でも私にはそれは難しそうなど考えました。

 

高額医療費制度があってとても助かりましたが結局毎月6~7万円はかかるのでお金は結構必要なんですよね。

 

と、答えのない体験談のお話しです。

 

お話しを元に戻します。

私はある会社に雇って頂きました。皆優しく夫の事情も考慮して働き方を優遇して頂きました。

そして私はずっとここで働かせて頂く事になると考えていたのですが、治療を頑張っている夫は違っていました。

 

運命とタイミング

夫は私が驚く程前向きに考えていました。体力や腰の骨折を考えると農業系は難しいのでカレー弁当屋をやろうと。

 

ここで夢がカレー弁当屋に決定しました。

 

夫は入院中もカレーについて調べて、一時退院で帰ってきている時も副作用と戦いながらカレーを作って研究していました。

 

入院中には❝何で自分がこうなったのか❞、❝せっかく移住してきたのに何をしているんだろう❞と気分が落ち込む事もあり、抗がん剤の副作用で苦しみ落ち込む事もあり、そんな時には図書室で本を借りて読み、その本に背中を押されたそうです。

 

❝お探しものは図書室まで❞を読んでいたという事で、後に私も読みましたが確かに優しく背中を押してくれる本でした。

 

そして夫の治療も終盤になってきた頃に、友達のお母さんがあの場所はどうだろう?と声をかけてくれました。

 

それが今のお店です。

 

一度苦い経験をしているので家賃のお話しなど、しっかりと大家さんと話し合い、今のお店を借りる事に決めまたし。

決めるまでに2ヶ月位はかかりましたがその2か月の間に他に借りたいという方も現れず無事に借りる事ができました。

 

あのお店を借りるのは運命だったのかもと勝手に思っています。カレー屋をやりたい人に黄色い空き物件があるなんて、なかなかないお話しだと思うので(笑)

 

この時も友達のお母さんやそのお友達、沢山の人達が間に入って声をかけてくれたりと協力をしてくれました。

私達二人だけだったら今のお店はありませんでした。

 

夫の抗がん剤治療は終わっていますが、もうすぐ1年経つ今でも体調は元に戻っていません。そんな時には友達が心の支えになってくれました。

地元の友達や遠く離れた場所からでも声をかけてくれる両親や兄弟、友達。

せっかく雇って頂いたのに辞めると言った私を応援してくれる会社の人達の温かさ。

感謝の気持ちでいっぱいです。

 

夫の寛解が分かってからの12月~オープンの2月11日まであっという間でした。

 

必要な物を揃え、手続きをして、保健所に行き、青色申告の準備をし、カレーの研究も続け、オープンの日を決めとにかく考える事だらけでした。

宣伝については悩みました。昔ラーメン屋を始める時は新聞広告に掲載をしましたが、今はSNSの時代だと思い、広告は打たずInstagramFacebookで発信していきました。

カレー弁当屋オープン

オープンの日。前日はドキドキしてどうなるかと思いましたが、当日は沢山の人が来て下さり、友達や家族からは素敵なお花が沢山届き、とても良い初日を迎える事ができました。

オープン当日の準備中は無我夢中で記憶がありません(笑)

 

宣伝についてはSNSだけでも良いけれど、ポスティングをしても良かったかなと思いました。

SNSをやっていない方は来て頂くきっかけがなかなかできずらい様で、今でも地元の方で❝寄ってみたかったけどなかなか寄れなくて❞という方が多く来て下さいます。

 

そして今、半年以上が過ぎましたが、今でも日々カレーについて考え続けています。

まだまだ課題が沢山ありますが、皆様にまた行きたいと思ってもらえるお店を目指してこれからも頑張っていきます。

 

ここまで読んで頂いてありがとうございました。私達のカレー弁当屋をオープンするまでのお話しはここまでとなります。

 

またKUMAちゃんのカレー弁当が書ける話題ができましたらブログを更新するので、その時は是非読んで頂けたら嬉しいです。