KUMAちゃんのカレー弁当の日記

無水・無添加・グルテンフリー!身体がよろこぶカレー

③夫婦の夢だったカレー弁当屋を開業するまでの道のり~今の食生活との出会い、ローンの残っていたマンションを手放してから移住の決断まで、移住した矢先のstage4の悪性リンパ腫の発覚、夢を叶えた開業~

このブログでは私たちの夢を叶えるまでの道のりを書いています。

2回目の前回は”ローンの残っているマンションの売却と同居~別居まで”を書きました。

3回目の今回は、高知に移住する決断をするまでのお話しです。

 

☆東京を離れて、四国高知県へ移住を決断

 

・コロナでサーフィン生活が変化

私たちが移住をしたいと思った1つの理由はコロナで自由にサーフィンに行けなくなった事です。

サーフィンが大好きな私達は、コロナが流行る以前の休日の多くはサーフィンへ行っていました。首都高の大渋滞にはまりながら片道3時間(ひどい時は5時間の時も)、交通費とガソリン代で毎月10万円が飛んでいっても!サーフィン中心の生活をしていました。

 

しかし日本でコロナが流行りはじめて県外への移動自粛要請が出てしまった為、2020年の春頃から休みのたびに行っていたサーフィンにほとんど行けなくなってしまいました。

 

そしてひと時でしたが、コロナの緊急事態宣言が解除された時期に”とにかくどこかへ行きたい”と思い、高知へお邪魔する事にしました。3回目の高知です。

 

2011年に高知に初めて行ってから3回目にして初めて波が大当たりし、最高のサーフィンができ、相変わらずの高知の人達の温かいおもてなしに癒されました。

渋滞、人混み、コロナで少しピリピリした雰囲気に疲れ気味だった私達にはこの高知旅は心に刺さるものがありました。

 

この時に、黒潮町で管理している良い物件の話しを聞いて、住みたい!と思い東京に帰ってから入居者募集開始の日を待ち、11月に募集が始まってすぐに応募をしました。

 

 

・審査の結果がなかなかでなくて

私たちが応募した物件は町が審査をして住人を決定する物件でした。

11月に応募をして1月には結果が出る予定でしたが、1月には結果がでず、2月になってもでず。

 

その間には、本当に移住して大丈夫なのか不安になり何度も悩みました。

高知に引っ越してしまえば簡単には帰ってこられないし、大好きな家族や友人と離れるのはとても寂しいし、ダメならダメで早く言ってほしいと思った事もありました。

そうすればこのまま安定した環境で何事もなく過ごせると。

 

でもここでやりたい事をやらなければ、この先何かがあった時に”あの時高知に行っていれば” ”やりたい事をやっておけば良かった”と一生思い続ける事になるかもしれない、それならやるだけの事をやって後悔や満足をした方が良いと思い直しました。

 

そして3月15日。家が決まっていないのに第一回目の引っ越しを決行しました!

ひとまず友人の祖父母が住んでいた空き家に荷物を置かせてもらうことに。

 

朝一でトラックを借りて荷物を積み、東京を出発しそのまま高知へ。

翌日友人達が手伝ってくれてあっという間に荷物を下ろし。

そのまま東京へとんぼ返り。

 

レンタカーを返し、ヘトヘトで家に着くとポストに封筒が。

選考結果のお手紙でした。

ドキドキしながら封筒を開けると

 

”落選”・・・。

 

荷物運んでしまった・・・。

今住んでいる団地も3月いっぱいの退去手続きをとってしまった。

 

困ったなと思っていた所、ひとまず友人の祖父母が住んでいた家に居れば良いと言ってもらい、

 


住まわせてもらう事になりました。

そしてひとまずの予定でしたが、縁がありそのまま現在も住まわせてもらっています。

 

・私の両親、兄弟

3月30日、全ての荷物を車に積み、夫の母に”行ってきます”と挨拶をして、そのまま私の両親が住む川崎へ。

3月31日の朝に両親に”行ってきます”と挨拶をして高知に向けて出発しました。

 

ずっと近くで両親に甘えさせてもらっていたので、離れるのがとてもとても寂しかったです。

本当だったら近くに住んで孫の顔を見せてあげなくてはいけないのに、孫の顔も見せてあげられない上に遠くに引っ越してしまう事が本当に申し訳ないと思いました。

 

それでも両親は優しく見守ってくれました。両親には本当に感謝しています。

きっと私達には解らない、親にしかわからない心の葛藤があったと思っています。

 

そして私の兄弟にも感謝しています。兄が二人、両親の近くに居てくれているから私は高知に来られたと思っています。

 

・友人

高知に移住するのに友人達の力なくして移住はできませんでした。

 

2011年、初めて高知に来て、高知で初めて立ち寄った海が黒潮町の入野海岸でした。

2月の真冬の寒い海で何もわからない私たちは、軽トラで来て海を見ている1人の男の子が居たので話しかけてみたんです。

 

それが始まりでした。その友人から彼女(今の奥さん)、更にその友人と輪が広がり、皆が協力してくれました。

そして今も、いつも仲間でいてくれている事に感謝しています。私達二人では絶対にここまで来られませんでした。

 

ここまで出会ってきた人、これから出会う人、一人ひとりとの出会いを大切にしていきたいと思っています。

 

今回もここまで読んで頂いてありがとうございました。

次回も頑張って書くので読んで頂けたら嬉しいです。